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東京地方裁判所 昭和52年(レ)75号 判決 1977年10月31日

控訴人・附帯被控訴人(原審被告、以下、控訴人という。) 佐々木健治

右訴訟代理人弁護士 杉山朝之進

被控訴人・附帯控訴人(原審原告、以下、被控訴人という。) 田中る

同 田中正子

右両名訴訟代理人弁護士 徳岡一男

同 徳岡寿夫

主文

一  原判決を、次のとおり変更する。

1  控訴人は、被控訴人らに対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、昭和四九年二月二七日から明渡済まで一か月金五万円の割合による金員の支払をせよ。

2  被控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  控訴人の本件控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審(控訴及び附帯控訴)を通じて控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決中、控訴人敗訴の部分を取消す。

2  被控訴人らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は、控訴人の負担とする。

三  附帯控訴の趣旨

1  原判決主文第一、二項を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人らに対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、昭和四九年二月二七日から明渡済まで一か月金六万円の割合による金員を支払え。

2  附帯控訴費用は、控訴人の負担とする。

四  附帯控訴の趣旨に対する答弁

1  本件附帯控訴を棄却する。

2  附帯控訴費用は、被控訴人らの負担とする。

第二当事者の主張

一  被控訴人らの請求原因

1(一)  訴外田中儀平(以下、儀平という。)は、昭和四三年一月二二日、控訴人に対し、儀平所有の別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)を賃貸期間右同日から昭和四七年一二月末日まで、賃料一か月四万円と定めて貸し渡した(以下、本件賃貸借契約という。)。

(二) 儀平は、昭和五一年四月二〇日、死亡し、被控訴人らは、儀平の権利義務を相続により承継した。

2(一)  控訴人は、儀平及び被控訴人らに対し、次のとおり、本件賃貸借関係の基礎である信頼関係を破壊する行為をなしたものであり、本件賃貸借契約を継続し難い重大なる事由が存するので、儀平は、控訴人に対し、昭和四九年二月二六日到達の書面で本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(二)(1) 儀平は、昭和四七年六月頃、控訴人に対し、本件建物賃料が、近隣建物賃料と比較して不相当に低額となったため、不動産仲介業者である学大商事株式会社(以下学大商事という。)を通じて、一か月金五万円に値上げするので承諾してほしい旨申入れたところ、控訴人は、これに対し、何ら解答して来なかった。

(2) 儀平は、昭和四七年一二月、右賃貸借契約期間が満了するので、再度、控訴人に対し、本件賃貸借契約更新後の賃料を一か月金五万円に増額するのに承諾してほしい旨学大商事を通じて申入れたが、控訴人は、これに対し、全く誠意ある態度を示さず、結局、交渉はまとまらなかった。

(3) 控訴人は、昭和四八年一月一日、儀平方へ、同年一月分の賃料として金四万円及び本件賃貸借契約の更新料として金一〇万円合計金一四万円を持参して来たが、儀平は、本件賃貸借契約更新後の賃料について、未だ合意ができていなかったので、右金員の受領を拒絶したところ、控訴人は、「本件建物賃料の値上げについて、合意が出来るまでとりあえず預っておいてほしい。預り証はいらない。」と言って、儀平が制止するのも聞かず、強引に右金員を置き去った。

(4) 控訴人は、昭和四八年一月末頃、儀平方を訪れ、話し合いの結果、賃料を一か月金五万円に増額することに承諾したかのような態度をとっていたが、その後、同年二月分の賃料として金四万円を東京法務局に供託して来たものである。

(三) 儀平は、控訴人が、賃料を供託してきたこと、及び控訴人が、一時賃料を一か月金五万円に増額することについて承諾するかのような態度をとっていたことから、昭和四七年三月二〇日、渋谷簡易裁判所に本件建物賃料増額請求の調停を申立てたが、控訴人は指定された調停期日に出頭せず、調停では、結局話し合いの機会を設けることが出来なかった。

(四) 控訴人は、前記調停期日が裁判所から通知されると、儀平が右調停申立をしたことに憤激し、儀平が右調停申立当時、寝たきりの老人であり回復の見込みもなく、また、被控訴人田中る(以下、被控訴人るという。)が、失明状態であることを十分知悉しながら、儀平方に怒なり込み、儀平及び被控訴人らに対し罵詈雑言を浴びせ、儀平らは恐怖のあまり反論も出来ず、心痛のあまり、病状は悪化し、毎日の生活に極めて不安を感じていた。

(五)(1) 控訴人は、昭和四八年五月七日、東京地方裁判所に対し、儀平と控訴人間に、本件建物所有権及びその敷地の借地権について条件付譲渡契約が存するとの虚構の事実を主張して、その確認を求める訴えを提起した(同裁判所昭和四八年(ワ)第三四四八号事件)。

(2) 右訴訟は、第一回口頭弁論期日において、裁判所の職権で調停に付されたが結局不調となって、事件は、訴訟に戻され第二回口頭弁論期日が指定されたところ、控訴人は、右期日に出頭せず、前記訴訟を取下げ、事件は終了した。

3(一)  仮りに信頼関係の破壊に基づく本件賃貸借契約の解除が認められないとしても、前記のとおりの控訴人の重大なる背信行為に加え、被控訴人らには、次のとおり本件建物を自ら使用する必要があるので、前記本件賃貸借契約解除の意思表示をしたところ、右賃貸借契約解除の意思表示には、正当事由に基づく解約申入の意思表示をも包含しているので、右意思表示をした日から六か月を経過した昭和四九年八月二六日をもって、本件賃貸借契約は終了した。

(二) 被控訴人るは高齢かつ盲目であり、単独では起居寝食が不自由で、日常生活に付添看護を必要とするが、被控訴人らは、付添看護婦を雇う経済的余裕がないため、被控訴人正子が、同るの面倒を見ざるを得ない。

(三) 被控訴人らの生活費は、被控訴人正子が昼間、勤務して得た収入により賄われているものであり、現在は、被控訴人正子が、同るの付添看護が出来ないので、被控訴人るは、非常に不自由な生活を送っている。

(四) 被控訴人らは、かつて、儀平とともに、飲食業を営んだこともあり、被控訴人正子は、本件建物で子供相手の焼きそば屋を営業することにより、被控訴人るの介抱をしながら、収入を得るのが、被控訴人らにとって採り得べき唯一の方法である。

4  仮りに、前記本件賃貸借契約解除の意思表示に、右正当事由に基づく本件賃貸借契約の解約申入れの意思表示が含まれないものであるとしても、被控訴人らは、昭和五一年一〇月二七日の原審における口頭弁論期日に、控訴人に対し、本件賃貸借契約を解約する旨の意思表示をしたが、右申入れには、請求原因3(二)ないし(四)で主張したとおりの正当事由があるので、右意思表示をした日から六か月を経過した昭和五二年四月二六日をもって本件賃貸借契約は終了した。

5  本件建物の賃料は、昭和四三年一月一日以来、一か月金四万円であったものであり、昭和四九年二月二六日以降の本件建物の適正賃料は、一か月金六万円を下回ることはない。

よって、被控訴人らは、控訴人に対し、本件賃貸借契約終了に基づき、本件建物の明渡し及び昭和四九年二月二七日から明渡済まで一か月金六万円の割合による本件建物の賃料相当の遅延損害金の支払いを求める。

二  被控訴人らの請求原因に対する認否

1  被控訴人らの請求原因1の(一)、(二)の事実は、いずれも認める。

2  同2(一)の事実のうち、被控訴人ら主張の意思表示がなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3(一)(1) 同2(二)(1)の事実のうち、儀平から控訴人に対し、被控訴人ら主張の頃、学大商事を通じて、本件建物の賃料増額の申入れがあったことは認めるが、その余の事実は否認する。

学大商事は、控訴人に対し、賃料を六〇パーセント値上げすることを申入れて来たので、これに対し、控訴人は、一〇ないし一五パーセントの値上げに止めて欲しい旨回答したものである。

(2) 同2(二)(2)の事実のうち、控訴人が、儀平の申入れに対し、誠意ある態度を示さなかったとの点は否認し、その余の事実は認める。

但し、右交渉がまとまらなかったのは、被控訴人正子が、昭和四七年一二月頃、控訴人に対し、賃料を一か月金五万円とする場合には、更新料は、契約では金一〇万円と定められているのに、金一〇〇万円以上でなければ、本件賃貸借契約の更新に応じられないと主張したためである。

(3) 同2(二)(3)の事実は認める。

(4) 同2(二)(4)の事実のうち、控訴人が、被控訴人ら主張の供託をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

控訴人は、昭和四八年一月末頃、儀平方に、同年二月分賃料金四万円を持参したところ、被控訴人正子が、右賃料の受領を拒否したので、右供託に及んだものである。

(二) 同2(三)の事実のうち、儀平が被控訴人ら主張の調停を申立て、控訴人が右調停期日に出頭しなかったことは認める。

控訴人は、本件建物で営んでいる理髪業の仕事が忙しかったため、被控訴人ら主張の調停期日には、やむなく欠席したが、第三回目の期日には必ず出席するつもりでいたところ、被控訴人らにおいて、右調停申立が取下げられ、控訴人の方へも、調停申立取下書が送付されて来たものである。

(三) 同2(四)の事実は否認する。

(四) 同2(五)(1)の事実のうち、控訴人が、被控訴人ら主張の訴訟において虚構の事実を主張したとの点は否認し、その余の事実は認める。

同2(五)(2)の事実は認める。

控訴人が、被控訴人ら主張の訴訟において主張した事実は、眞実のことである。

すなわち、儀平は、昭和四二年一一月頃、控訴人に対し、「控訴人は、儀平に金五〇万円を支払い、本件建物を控訴人が修繕し、かつ、理髪店舗に改装し、毎月四万円を儀平に支払えば、儀平は、昭和五三年一月末までに、野田市に控訴人のための理髪店を新築して贈与する。その場合には、控訴人は、儀平夫婦を終身扶養してくれ。」と言ったので、控訴人は、これに基づき、昭和四二年一二月一五日、儀平に対し、金五〇万円を支払い、また、金七〇万円余をかけて、本件建物を理髪店舗用に修繕改造したものである。その後昭和四三年一月二三日、学大商事が、本件賃貸借契約書に調印を求めて来たので、控訴人は、これに署名押印した。儀平は、昭和四五年八月頃、病気のため身体が不自由になり、同年一一月一〇日、控訴人を枕元へ呼び、自分が病気となったので、野田市の店舗贈与の話は、実現が困難となったが、本件建物の賃料名目の生活費を昭和五五年一〇月末まで毎月四万円ずつ支払うときは、本件建物を控訴人に贈与する旨述べていた。

控訴人は、これに対し、必ずしもそのとおり実現できるとは信じていなかったが、控訴人が、右訴えの提起をしたのは、適正な賃料値上げを認めることにより、本件賃貸借契約が円満に継続されることを期待し、調停手続で、被控訴人らと話し合う機会を設けるためであり、調停手続が結局不調に終ったので、右訴えも取下げたものである。

5  同3(一)の事実のうち、被控訴人ら主張の意思表示があったことは認めるが、その余の事実は否認する。本件賃貸借契約は、昭和四七年一月一日から法定更新されているから、被控訴人ら主張の解約の申入れは、借家法第二条の要件を欠き、正当事由を理由とするものであっても、効力はない。

6  同3(二)ないし(四)の事実は、いずれも知らない。

控訴人は、本件建物において理髪業を営み、本件建物を店舗兼住居として使用しているものであり、被控訴人らの本件建物の必要性よりも、控訴人らの必要性は大である。

被控訴人らは、本件建物を、控訴人以外の第三者に賃貸するために、本件訴えを提起したものである。

7  同4の事実のうち、被控訴人ら主張の意思表示があったことは認めるが、その余の事実は否認する。右意思表示も、借家法第二条の要件を欠き、効力は認められない。

8  同5の事実のうち、本件建物の賃料は、昭和四三年一月一日以来、一か月金四万円であったことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  被控訴人らの請求原因1の(一)、(二)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  同2(一)の事実のうち、訴外田中儀平(以下、儀平という。)が、昭和四九年二月二六日到達の書面で、控訴人に対し、別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)についての儀平、控訴人間の賃貸借契約(以下、本件賃貸借契約という。)を解除する旨の意思表示をしたことについては、当事者間に争いがないので、次に、被控訴人ら主張の本件賃貸借契約解除事由である控訴人の儀平及び被控訴人らに対する背信行為の存否について判断する。

1  請求原因2(二)の(1)、(2)の事実のうち、儀平が、昭和四七年六月頃、控訴人に対し、学大商事株式会社(以下、学大商事という。)を通じて本件建物の賃料増額の申入れをなし、同年一二月、再度、控訴人に対し、本件建物の本件賃貸借契約更新後の賃料を一か月金五万円に増額するのに承諾してほしい旨の申入れをなしたが、結局、話し合いはまとまらなかったことについては当事者間に争いがない。

2  同2(二)(3)の事実については当事者間に争いがない。

3  同2(二)(4)の事実のうち、控訴人が、昭和四八年一月末頃、同年二月分の本件建物賃料として金四万円を東京法務局に供託したことについては当事者間に争いがない。

4  《証拠省略》を総合すると、儀平は、昭和四七年六月頃から、控訴人に対し、学大商事の代表取締役である訴外合田六郎を通じ、本件建物賃料を一か月金四万円から金五万円に値上げすることに承諾する様、申入れていたが、控訴人は、特段の理由もなく右一か月金一万円の増額にすら応じようとしなかったこと、控訴人は、昭和四八年一月末頃、儀平方において、被控訴人田中正子(以下、被控訴人正子という。)に対し、右一か月金五万円に本件建物賃料を増額することに承諾するような態度を示しながら、結局、前記供託に及んだことが認められる。

控訴人は、被控訴人ら主張の賃料値上げ交渉が合意に達しなかったのは、被控訴人らが、本件賃料を六〇パーセントも値上げすることを要求したり、一〇〇万円以上の更新料の支払いを要求したためであり、控訴人としては、一〇ないし一五パーセントの値上げに応じるつもりであった旨主張し、原審証人佐々木綾子並びに原審及び当審控訴人本人の各供述中には、右主張に沿う部分があるが、右各供述は容易に措信できず、他に、前記認定の事実を覆すに足る証拠はない。

5  同請求原因2(三)の事実のうち、儀平が被控訴人ら主張の調停を申立て、控訴人が右調停期日に出頭しなかったことは、当事者間に争いがなく、右調停申立てが賃料を昭和四八年一月以降一か月金五万円に増額する内容のものであったことは、《証拠省略》により明かであるところ、控訴人は、調停期日に出頭しなかった理由は、仕事が忙しかったためであり、次回期日には、必ず出頭するつもりであった旨主張し、《証拠省略》には右主張に沿う部分があるが、控訴人が賃料一か月金一万円の増額を承諾する意思があれば、隣家である被控訴人ら家族へ、受諾の意思を伝えることは容易に出来たはずであり、調停期日に出頭できなかったのは仕事の多忙のためであるからといって、右の措置に出なかった控訴人の賃借人として賃貸人の賃料増額請求に対し、誠実な対応をしたものということはできない。

6  《証拠省略》を総合すると、控訴人は、儀平が申立てた調停期日の呼出状が控訴人に送達された際、儀平方へ怒なり込んで行ったこと、昭和四八年五月頃、控訴人は、金五〇万円を領収した旨の領収証を儀平方に持参し、儀平に右領収証への署名捺印を強要しようとしたが、結局、儀平はこれに応ぜず、控訴人はその目的を達しなかったこと、この時も控訴人は、儀平及び被控訴人らに相当乱暴な発言をしたこと、右行為により被控訴人らは控訴人に対し、強い不信感と不安感を有するに至ったことが認められ(る。)《証拠判断省略》

7  同2(五)(1)、(2)の事実のうち、控訴人が、昭和四八年五月七日、東京地方裁判所に対し、儀平を被告として、条件付建物等譲渡確認の訴えを提起したこと及び右訴訟のその後の経過については当事者間に争いがない。

《証拠省略》によれば、控訴人は、右条件付建物等譲渡確認の訴えを、控訴人方の近所に住み、控訴人方へ客として来店していた知人の鈴木鶴雄と相談のうえ提起したこと、右訴状は、前記調停申立事件の調停期日が昭和四八年五月八日午前一〇時と指定されているのに、その期日に提出していること、右訴状には、控訴人の主張する条件付建物等譲渡契約の主張のほか、右調停の申立てが、儀平に無断で被控訴人正子によりなされた旨が記載されていること、控訴人としても、右訴えにおける控訴人の主張が通るとは思っておらず、鈴木の指示に従って訴えを提起したものであることが認められる(なお、控訴人は、その主張の約定がそのとおり実現されるものと信じていなかったことを自認している。)。一方、控訴人は、右訴えにおける主張が真実のものであり、儀平が控訴人に言明したとしてその内容をるる主張し、原審証人佐々木綾子、原審及び当審控訴人本人の各供述中には、右主張に沿う部分があるが、右各供述は、容易に措信できず、かえって、《証拠省略》を総合すると、控訴人主張の事実はなかったことが認められる。

ところで、賃貸借契約は、賃貸人、賃借人相互の信頼関係を基礎とする継続的契約であるから、当事者は、賃貸借継続中に生起する当事者間の利害が相反する問題(例えば、賃料増減額請求、借地条件の変更、更新期における更新料の請求等)の処理に当たっては、信義に従い誠実に対処すべく、賃料増額請求を契機とする感情的対立、見解のそごに端を発する紛糾、経済的合理性に基づく駆引き等は、やむを得ないものとしても、当該問題の処理に当たって、自己の立場を有利に導くため、あえて、虚構の事実をかまえて訴えを提起し、相手方から既に申立てられている調停の場における解決を妨害する等の不誠実な行為に出ない義務を信義則上負担するものであり、賃貸借契約の当事者の一方が、右義務に違反し、その信頼関係を破壊することにより、賃貸借契約の継続を著しく困難ならしめたときは、他方の当事者は催告を要せず賃貸借契約を解除することができるものと解するのを相当とする(最一判昭和四七年一一月一六日民集第二六巻第九号一六〇三頁参照)。

本件について、これをみるのに、前記当事者間に争いのない事実及び前記認定の事実に徴すると、控訴人は、昭和四三年一月以降一か月金四万円で本件建物を使用して来ており、その後五年間の長期にわたり、賃料は、本件賃貸借契約締結時からすえ置かれてあったものであるが、その後昭和四八年一月、本件賃貸借契約が更新されるに際して、昭和四三年一月に約定された更新料金一〇万円を支払ったのみで、わずか一か月金一万円の賃料値上げに対しても言を左右にして応じず、儀平が申立てた賃料増額調停申立事件の調停期日にも格別の理由もなく出頭せず、(仮に、儀平らにおいて、更新料につき、控訴人主張のように、当初の約定に反し多額の金員を要求していたとしても、それは、調停の場で妥当な解決を求むれば足りたのである。)かえって、右調停を申立てたことについて儀平及び被控訴人らを責めるが如き言動に及び、さらには、儀平らの賃料増額請求について、自己の立場を有利に導こうとして、虚構の事実をねつ造して、右調停申立事件について指定された調停期日の前日に本件建物所有権及びその敷地の借地権について条件付譲渡確認の訴えを提起したものであり、かかる控訴人の一連の被控訴人ら及び儀平に対する行為は、前説示の義務に違反し、儀平の賃料増額請求につき、賃借人として信義に従い、誠実に対処せず、その結果、本件賃貸借契約における当事者間の信頼関係を根底から破壊し、その後の本件賃貸借の継続を著しく困難ならしめたものというべきである。

してみれば、儀平が控訴人に対し、昭和四九年二月二六日到達の書面で本件賃貸借契約解除の意思表示をしたことにより、本件賃貸借契約は解除により終了したものというべきである。

六 同5の事実のうち、本件建物の賃料は、昭和四三年一月一日以来、一か月金四万円であったことについては当事者間において争いがなく、昭和四七年六月頃においては、右賃料の一〇ないし一五パーセントの値上げには応じる意向であったことは、控訴人の自認するところであり、また、昭和四三年以降、毎年物価が上昇して来ていることは公知の事実であることに照らし考えると、昭和四九年二月二七日以降、本件建物の適正賃料は、少くとも、一か月金五万円を下回ることはないものと認められる。

七 よって、被控訴人らの請求は、控訴人に対し、本件建物の明渡し及び本件賃貸借契約が解除された日の翌日である昭和四九年二月二七日から明渡済まで一か月金五万円の割合による賃料相当損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきであり、したがって、これと異なる原判決を右のとおり変更することとし、控訴人の本件控訴は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口繁 裁判官 渡辺雅文 奥田隆文)

<以下省略>

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